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親が手放したくない“家”と、子が抱える現実

おやのこと

〜実家の片付けで気づいた、親の本音〜

誰も住んでない実家に、毎年10万以上。どうする、これ。

私の実家は佐賀の田舎。
バス停まで徒歩30分、バスは1時間に1本あるかどうか。
そんな場所に、誰も住んでいないのに、毎年10万円以上の維持費がかかっている。

何年も悩んできたけど、ようやく動いた。
義母の親族が建設関係の仕事をしていて、思い切って実家を見てもらった。

「もしかしたら、貸すとか売るとか、できるかもしれない」
そう思った。空き家の固定資産税くらいは自力でまかなえたら、って。

けど、返ってきたのは冷酷な現実。

「貸せない。売れない。
リフォームと片付けで100万円以上かかるよ。
仮に売れても、マイナスになる。」

正直、へこんだ。
近所には新築の家もぽつぽつ建ちはじめてて、ワンチャンあるかも…って、ほんの少し期待してたんだよ。

でも、あっさり打ち砕かれた。


「このまま持ち続ける意味って、何?」

弟夫婦はいつ帰ってくるかわからない。
だったら、近所の人が「ほしい」と言ってくれている今がラストチャンスじゃないか?

私は、いま親が元気なうちにちゃんと手を打ちたいと思ってた。
ズルズル持ち続けて、後で全部私が背負うことになるのは、目に見えてる。

だから、母に話した。

「もう売っちゃった方がいいんじゃない?」

そしたら、
秒でブチギレられた。


怒鳴り返す母。「絶対に貸さん、売らん!」

母は言った。

「お父さんが守ってきた家ばい!〇〇(弟の名前)も帰ってくるって言ってたやろが!」

もう、瞬間湯沸かし器
私だって言い返した。

「じゃあさ、この家の維持費、あんたが払ってよ!!
私、毎年10万以上払ってんのよ?!」

これまで溜まってた鬱憤が一気に爆発した。

でも、次の母の言葉には、さすがに私も固まった。

「じゃあ、施設やめて実家帰るけん。
佐賀の病院まで毎回通えばいいやろ?」

無理だよ。
足腰はもうガタガタ。車も運転できない。
タクシーなんて何回乗るつもり?
現役時代の金銭感覚のままで、お金のこと全然わかってない。

どうせ、年金2週間で使い切る。
お酒とタバコで、ね。


「帰る家がなくなるやない…」って母が言った

もうね、本気で泣きそうになった。

さんざん怒り合って、もう無理だって思った瞬間、
母が、ぽつんとつぶやいた。

「私の帰る家がなくなるやない……」

ああ、これかって思った。

「貸さない」「売らない」って怒ってたのは、全部これだったんだ。
父と一緒に暮らしたあの家に、また帰りたい。
父の思い出が詰まった家に、自分も戻りたい。

私には、正直わからなかった。
でも、なんとなくわかってしまった。


思い出を守りたい気持ちと、現実のコストはいつもぶつかる

私だって、できることなら、実家を残したいよ。
でも、現実は残酷で、10万円以上の維持費を払い続ける余裕なんてない。

親は「気持ち」で家を見てる。
子どもは「お金」と「未来」で家を見てる。

その溝って、ほんと深い。


誰かの“帰る場所”って、簡単に消せない

母の「帰る家がなくなるやない…」って言葉がずっと心に残ってる。

人って、
「いつでも帰れる場所」があると思ってるから、安心して今を生きられるのかもしれない。

たとえ、そこにもう誰も住んでなくても。
ドアの鍵が壊れていても。
草がボーボーでも。
“帰れる家がある”って思えること自体が、希望なんだ。


▼まとめ:実家の片付けは、感情と現実のせめぎ合い

  • 親の「思い出」と、子の「負担」はいつも平行線
  • 感情論をぶつけ合っても、答えは出ない
  • それでも、親が生きている間は「帰れる場所」を残したいと思った

今も、これが正解なのかはわからない。
でも私は、「親の気持ち」に一度ちゃんと向き合えたことは、良かったと思ってる。