「私、いいお母さんじゃないかも」って思う瞬間
正直、私は「いいお母さん」じゃないと思う。
子育てに向いてるとも思えないし、精神的にもまだまだ子どもだなって思うことが多い。
昔から「子どもが子どもを育ててるね」なんて言われるけど、自分でもそう思うし、もはや開き直って「そうなの!すごいでしょ!」って笑ってる。
インスタやTikTokを見てると、丁寧に料理して、週末には家族でお出かけして、子どもたちとの時間を全力で楽しんでる“理想のお母さん”がいっぱい出てくる。
ああいうのを見るたびに「すごいな〜」「私もああなれたらいいのに」って思うけど、やっぱりすぐに「うん、無理だわ!」ってなる(笑)
私は、自分の時間がほしいし、仕事もしたい。
もちろん子どもは大切だし、可愛いと思う。むしろ「イケメンに生まれてくれてありがとう!」って思ってる(笑)
でも、「子ども中心の完璧な育児」なんて私にはできないし、目指すつもりもない。
保育園で言われた「ママ、おそかった」に思うこと
仕事が終わって、急いで保育園に迎えに行く。
ちょっとでも遅くなると、「ママ、おそかった」って言われる日がある。
ごめんね、って思う。寂しい思いをさせてるのかなって、やっぱり胸がチクっとする。
でも、それでも私は働くのをやめようとは思わない。
仕事は私にとって、生活のためだけじゃなく「私でいるための時間」でもあるから。
「ママである前に、私でもありたい」って思ってるし、
子どもたちに対しても「お母さん、ちゃんと生きてるな」って思ってもらえるほうが嬉しい。
“いいお母さん”の定義って誰が決めるの?
世間では「ちゃんと料理してるか」「子どもを叱らずに育ててるか」「保育園じゃなくて一緒にいる時間を大事にしてるか」みたいな“理想の母親像”があるように感じる。
でも、それって本当に正解なのかな?
私は、ごはんが手抜きの日もあるし、イライラして怒っちゃうこともある。
公園で全力で遊んであげられない日だってある。
それでも、子どもたちのことはちゃんと考えてるし、大事にしてる。
私がなりたい“お母さん”のかたち
たぶん、「いいお母さん」かどうかって、自分で決めることじゃない。
それは、子どもが大きくなってから、振り返って判断するものなんじゃないかな。
でももし、子どもたちが成長したときに
「うちの母ちゃん、ちょっと変だったけど好きだよ」って笑って言ってくれたら、それでいい。
私は、ずっと子どもたちと友だちみたいに、なんでも話せる関係でいたい。
正解かどうかより、「この子たちと一緒にちゃんと生きてる」って思える毎日を過ごしたい。
完璧じゃなくても、私らしい“母親”でいたい。
まとめ:母親に向いてなくたって、子どもと生きていける
「いいお母さんじゃないかも」って不安になる日もある。
でも、子どもたちが元気で笑っていて、私のことを見てくれるなら、それでいいと思う。
完璧じゃなくても大丈夫。
向いてないかもしれなくても、母として悩んでいる時点で、もう充分頑張ってる。
私も、そんな自分を少しずつ認めながら、今日も子どもたちと生きていく。