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帰省したら実家が散らかり、親の老いを実感した話【介護の悩み】

おやのこと

久しぶりに佐賀の実家に帰ったあの日、私は玄関を開けて、しばらく呆然としてしまった。
「こんなに散らかってたっけ?」と頭の中が真っ白になった。
いつも来客があるときだけ大慌てで掃除していた実家だけど、それにしても様子が違いすぎた。

実家の片付けと親の変化

実家は昔から、決して片付いているとは言えない家だった。
普段はモノがあふれていて、誰かが来るとわかると家族総出で大掃除。
「見えるとこだけでいいけん!」と母がよく言っていたのを覚えている。
だから少しくらい散らかっていても、私にとっては“いつもの実家”の風景だった。

でも、その日は違った。
家全体がどこか暗くて、光が入らないような印象だった。
視線を床に落とすと、リビングには広告や市報の紙ゴミがびっしり。
「…ここまでになってたんだ」と、思わずため息が出た。

親の老いを実感した瞬間

何より驚いたのは、両親の様子だった。
どこか元気がなく、特に父は見違えるほど老け込んでいた。
体力が落ちたのか、動きもゆっくりになっていて、声にも張りがなかった。

「ああ、ずっと元気なわけじゃないんだ」
その現実を突きつけられた気がして、胸の奥がズンと重くなった。
寂しいとか、ショックとか、そんな一言じゃ片づけられない気持ち。
子どもの頃は、あんなに頼りがいがあった父と母。
それが今、目の前で確実に年老いていっている。
なんだか急に、世界が変わって見えた。

介護準備のための行動

それから私は、バイクの免許を取って、できるだけ実家に帰るようになった。
仕事の休みと天気のタイミングが合えば、何時間かかっても帰る。
ゴミをまとめて出すだけの日もあったけど、それでも行くことに意味があると思った。
それまでは何日も既読がつかないこともあったLINEも、
こまめに送るようにしたら、母が少しずつ返信をくれるようになった。

ほんの小さなことかもしれないけど、
「見てるよ」「気にかけてるよ」って伝えるだけでも、きっと違うんだと思う。

親の老いを見つめる大切さ

実家が散らかっていたことよりも、
両親が少しずつできないことを増やしていく現実の方が、ずっと堪えた。
でも、それはきっとどの家庭にも起こることなんだと思う。

年を重ねるって、そういうことなんだって。
誰かが急に介護が必要になる前に、
「なんか最近、実家が散らかってきたな」と思ったときにこそ、
ちょっと立ち止まって、親の様子を見てみるチャンスなのかもしれない。

親の「小さなSOS」に気づく

実家が“汚れてきた”のは、ただの生活の乱れじゃなかった。
体力も気力も少しずつ削れていくなかで、
うまく助けを出せない、そんな親の「小さなSOS」だったんだと思う。

あのとき、気づけてよかった。
これからも無理のない範囲で、私にできることをしていきたい。